押し寄せるソーシャルの波。 現在のwebサービス、新たに立ち上がるサービスは全て、ソーシャル機能が取り入れられており、データは人に紐づく形になってきています。今年は、ソーシャルECも重要になってくるらしく、仕事での対策も必要かと。

さてここで、なぜ「重要になってくるらしく…」と、「らしく」をつけたかというと、私個人の感覚として、リアルな世界がソーシャル化していっている感覚はまだないからです。 私自身は、webの業界にいますのである程度の実感はありますが、私の家族や友人知人は、やっとFacebookに登録した程度の人たちが多く、その使い方もわかっていません。

将来的に、ソーシャルな情報が大量に収集され、色々な形で使われるようになれば確かに、ソーシャルな関係から情報のきっかけを得たり、情報に深みを加えたり…ということも多少はありかと思ったりしますが、やはり友人レベルでは知識の範囲も狭いため、求める情報にたどり着かないことも多いです。

これが、ソーシャルの世界に友人知人が全員登録すれば良いのかというと、また違います。結局、中立な(今までのGoogle検索システムや本などのような)情報は今後も必須ですし、私個人的には当分の間、まだまだ中立な検索を使用していくことになると思います。 それは、ある程度似通った価値観を持つ世界ではなく、違った世界からの情報が私にとって重要であることがまず第一。

第二に、私も含め日本の特徴でしょうが、人が発信した情報に引きずられて自分の意見と違った情報を発信したり、気遣いからのイイねを押したりしている可能性もあること、また簡単に共有できることから、情報源が怪しかったり… まだまだ、ソーシャル化していくには問題が多数という感じです。
※私がネットを使うのが、仕事関連の情報収集に限るからですが…これが音楽や映画、飲食などに変わればまた違うでしょうが。

これを本当の意味でソーシャル化するのであれば、日本人の文化が変わっていかなければいけないし、教育も変えていかないといけないのだと思っています。 もちろん、情報を見極める目があればなんとかなるでしょうが、webに慣れていないユーザーにそれを求めるのは酷だと思うのです。

ソーシャルの醍醐味は、こなれたユーザーが集まる場ではなく、全てのユーザーが参加してこそと思うからです。 そういうふうに考えていくと、Facebookは今の形のままでは限界があるのではないか?と思ったりします。ですが、長いので次回にしたいと思います。

これまた長くなりましたが、ソーシャル化について思うことをツラツラ書いてみました。これに関しては、業界に関る者として特に、webに慣れていないユーザーのことを常に頭に入れて考えていきたいと思っています。