「他人の目が気になる」。それはつまり「自分がどう見られているか気になる」ということ。なぜ「自分がどう見られているか気になる」のかを知っておくことで、他人の目を気にしなくてよくなります。
「他人の目が気になる」ということは
「自分が他人からどう見られているか気になる」ということは、主語を「自分は」に言い換えることができます。わかります??
そう、「他人の目が気になる」というのは裏を返せば「自分はこう見られたい!」という意識(欲望)があるということです。例えば、
- かわいい(かっこいい)と思われたい
- おしゃれ(今ドキ)だと思われたい
- おもしろい人だと思われたい
- 仕事のできる人だと思われたい
- 友達が多いと思われたい
- いい人だと思われたい
- 器が大きい人に見られたい
- みんなに好かれたい
- 幸せそうだと思われたい
こんな意識(欲望)があるからこそ、「今わたしが他の人からどう見えているのか」「そう思ってもらえるように他人から見えているのか」が気になるのです。
「自分はこう見られたい」という意識(欲望)の正体とは
「こう見られたい」という“結論”は自分が出したわけですが、その前段階には必ず「こう見てもらえれば、こう感じてもらえる」という、自分の考えがあります。思い出してみましょう。
例えば「かわいいと思われたい」という意識(欲望)があったとして、そう思われたいと思ったのは、『かわいければ好いてもらえる』『かわいければステキな彼氏ができる』『かわいければ玉の輿ができる』などなどの考えがあったからのはずです。
つまり自分には「好いてほしい」「彼氏が欲しい」「玉の輿に乗りたい」という欲望があったことに気づけますよね。
さらに突き詰めると「好いてもらえれば…」「彼氏がいれば…」「玉の輿に乗れれば…」の「…」先に自分の価値観からくる『幸せの図』があったはず。
自分の価値観(こうなりたい)を目指すために導き出されたのが「自分はこう見られたい!」という“結論”であり、だからこそ「そう思ってもらえるように他人から見えているのか」が気になる、ということなんですね。
人を判断するためにも使われている
自分が「こう見られたい」と思うことは、そのまま他人にも当てはめていることに気づけるでしょうか。
例えば、上の「かわいいと思われたい」事例でいくと、実は自分だけでなく他人に対しても「この人はかわいいかどうか」を判断基準として使っているということです。
「かわいいかどうか」でその人を判断…とまではいかなくても「この人かわいいから幸せそう」「この人かわいくないから幸せじゃなさそう」といったように、自分の「かわいければ幸せだろう」という価値観をベースに、他人を知る=その人を「自分の持っている分類の枠にあてはめて、この人はこういう人だろう」と目安を付けているのです。
他人の目が気になってしんどい人は自分の価値観を見直そう
「他人の目が気になる」人の対策は2つ。
- 「自分はこうなりたい」という自分の価値観を見直す
- 「こう見られれば、そうなれる」という価値観を実現するための思考回路を変える
この2つです。
もう少し詳しく説明すると、
1の場合は、「好かれる」「彼氏ができる」「玉の輿に乗れる」=そうすれば幸せになれる!という価値観を捨てるということ。または「顔がかわいくなくたって…」という価値観をしっかり、実感として持つこと。
2の場合は、幸せになるには「好かれる」「かっこいい彼氏」「玉の輿に乗る」ことだ!という考え方をやめるということ。他にも幸せになれる方法がたくさんありますから、そこへ目を向けるということ。
どちらも、難しいですけどね。。
自分の価値観が悪いわけではない
ちなみに私自身は「良い人だと思われたい」「器が大きい人間だと思われたい」「他人に大きい影響を与えたい」このあたりと格闘中です。
やり方は「誰にとっても良い人なんて存在しない」「器が小さい時があってもかっこ悪くないよ」「影響力が小さくてもいいじゃないか」。思い出すたびにこんな風に考えるようにしています。
これに打ち勝っても次の戦うべき価値観が出てくるのは間違いありません。戦いは延々なり。
忘れないでほしいのは、『自分が持っている価値観が決して悪いものではない』ということ。ただ、それによって、「他人からどう見られるか」が気になりすぎて苦しんでいるようなら、その価値観は、苦しみから解放されるために変えてしまってもいいのではないか、ということです。