私は長年「幸せ」の定義を勘違いしていたように思います。
若いころは単純バカですが、「年収1000万超えたら幸せ!」「老後に2億貯まっていれば!」「病気せずに元気」「家族が元気だったら幸せ!」「仕事しなくても生きていける」とまぁこんな感じで考えていました。
しかし夫婦揃って自営業ですとお金の面で「幸せ」の定義を超えるどころか、常にギリギリであり、私は結婚してから14年間はずっと悩み苦しんでいました。ありとあらゆる手法を試して苦しみを回避してきました。
その苦しんでいた期間、私は自分に何度も「幸せなのか?」と聞きました。しかし不思議と、その答えはいつも「幸せです」という回答だったのです。自分でも不思議でしたが、「不満(不安)はあれど、幸せだ」と常に感じていました。
なんでだろう、と疑問でした。
今年、最大の夫婦の危機を迎えます。
その時、私は真剣に「”自分にとって”の幸せとは何か」に向き合ったのです。
幸せを得るために何を捨てるべきか。。 慎重に選択するために、「幸せ」とはどういう状態かということを定義しなくてはいけなかったからです。
その時、初めて「自分だけにフォーカスした」「幸せ」を見つめました。そしてそれが出てきたとき、私が「幸せなのか?」の解に常に「幸せ」と答えていた理由もわかったのです。
もりまりにとっての「幸せ」の定義
以下の3つが、私にとっての「幸せ」の定義です。
- 自分らしくいられること
- (その上で)自分で選択できること
- (自分らしく選択することによって)属する組織に貢献していると感じられること
我ながらこの3つはとても納得のできる「幸せ」の定義だと感じています。他の方も・・・どうでしょうか?共感いただける方もいるのではないかと考えています。
ここからさらに突き詰めるべきは「自分らしい」とは一体どういうことか?ということを考えなくてはなりませんが。
自分が幸せなら周りに好影響を与えられる
今思えば、昔は「幸せとは何か」を考えたとき、当然のことでしょうが常に『家族』の存在が前提にありました。
『家族』が幸せになるためには「私はこう在らねばならない」「お金はこれぐらい必要」などの無意識のフィルターがかかった状態で、「幸せとは」を考えていたわけです。
他を慮った素晴らしい考え方ではありますが、この状態であることが「納得できる幸せ」の定義をできなかった原因なのだと、今回初めて気づきました。
「自分が一人で生きていくとしたら・・・」人生で初めてそういう前提に立ち、考えたことで見えてきたことでした。
そして、その後も思慮を深めて思ったのは、自分が本当に「幸せ」だったら自分に余裕が出て、人にやさしくなれる。そうやって周りに好影響を与えることこそが、「家族、しいては社会への幸せ」につながるではないか!と。
この「幸せの定義」を元に、私のビジョン・ミッションは決まりました。
今はまっすぐ、一直線に走り抜けたいと考えています。
<参照>
・能力交換を考えるきっかけを生んでくれた本「物欲なき世界:菅付雅信」
・「消費をやめる」平川克美ー消費について考え直すチャンス
・「寂しい生活」稲垣えみ子ーキリのない欲望や不安から解放されるチャンスかも