テレビはおもしろく無いのであまり見ないのですが、たまにテレビを付けると目につくのがデヴィ夫人。最近デヴィ夫人を見ると、テレビのチャンネルをまわすのを止めるようになりました。

ちなみに私はデヴィ夫人のことはよく知りません。昔、インドネシア大統領だったスカルノの夫人だったということと、今もその名残で?社交界ではまだまだ存在感がある?みたいだということ。あとは、70歳を過ぎるおばあちゃんだということ。

しかし、最近テレビで観るデヴィ夫人は、70歳を過ぎるおばあちゃんとは思えない、体を張ったものが多い気がします。そして特にお笑い番組を観ない私が、なぜそこでチャンネルを回すのを止めるのかというと、それは彼女がとても楽しそうだからなんです。

その楽しそうなデヴィ夫人を見ていて、最近スゴク思うのです。こういうことをその歳になっても楽しめるってほんとにイイなぁと。

どうしても、70歳や80歳になると「人生が楽しくなくなる」みたいなイメージになりがちです。体も弱くなり、体力もなくなる。今後は年金ももらえなくなり、貧しい。楽しいことも無い生活をするしかないんだろうと想像してしまいます。

でもデヴィ夫人はそのイメージとは全く違います。自分が興味を持ったことへは「体力の限界」や「私はこうあるべき(こう見られたい)」といった、変な制限をかけずにチャレンジされているんだろうと思います。(勝手な想像ですが)

もちろん、デヴィ夫人は体に悪いところもなく、お金もたくさん持っているからできるのかもしれません。しかし、自分の能力や体力や環境で、勝手に限界を決めて「xxだから出来ない」とか、誰かと比較して「xxさんには出来るかもしれないけど、私には…」いう考えでは、デヴィ夫人のような楽しい人生(余生)を送れないのかもなぁと思うのです。

そういう意味で、デヴィ夫人を見ていると、私も変な見栄や制限を取り払って、色々なことにチャレンジをしようと思えるのです。もちろん、何も制限をかけずに色々なことにチャレンジをすれば、失敗もたくさんするでしょう。例えばデヴィ夫人の場合、水に飛び込むアクションをした場合、下手をすると心臓発作で亡くなることもあるのかもしれません(例えが悪いですが)。

しかし「そのリスクを理解し、達成したときの”何か”を得るために私はチャレンジする」。そう「自分で決めること」が、非常に大事だと思います。

自分で決めれば、自分に責任が発生します。全てを受け止める準備ができます。「誰かに勧められてれてやってみた」「みんながそう言ってた」「ネットではそう書いてた」などで判断をすると、他人の責任にして文句ばっかり言って、大事な”何か”が受け止められなくなります。

『自分で考えて決めること、その責任を自分で取ること』。今までももちろん大事なことでしたが、情報が氾濫するこれからの時代、満足に生きたいと思うのであれば、そこを意識して生きることが特に大事になってくると私は感じています。

そして最後に考え方(受け止め方)。どんな失敗をしても『良いところだけに注目する』『得たものを考える』。その先に素晴らしい”何か”があるのだと信じること!ポジティブな考え方(受け止め方)さえ身につければ、全ての事柄は「勉強!」「自分の成長のため!」「先へ進むための1歩!」としか思えなくなり、恐怖も和らいでチャレンジもできるようになってきます。

といった感じで、私は最近デヴィ夫人をテレビで観るたびに、これらのことが頭の中をグルグルと回るようになりました。きっとこれから先「チャレンジする何か」が控えているのだと思います。

私が20歳の頃から自分のテーマ曲にしている、ユニコーンの「おかしな2人」曲のサビに「たとえ勝てはしないゲームでもどうにかなるの」という一説があります。めちゃくちゃ良い歌詞ですよね。

勝ち負け以外に視点を当てた時に、起こった物事の本当の意味を感じることができ、前進することができるのですね〜〜。や〜ユニコーン最高です!